日本は隘路に差し掛かるとたちどころに歩みが停まる。しかし、道は切り拓かなければ前には進めないですよ!精一杯アタマを使って!
「/……」は書き掛けです。再更新の可能性があります

Thursday, July 30, 2015

法的安定性を揺さぶって脅迫するのは何故か?

日本人は真に自立した精神構造を持たなかったので、自己がどの様な判断をしたのかも解らない精神になっている様です。精神の鈍磨です。自己の判断がどの位置にあるのかが理解出来ないのではないでしょうか。

憲法が平和をもたらしているのではなく、憲法を守ろうとする意思の総意が平和をもたらすと言った方が良いのです。

専ら人間の構築行動によっているのです。

権力はそれを見透かして法的安定性などの話に逸らしている有様です。法的安定性等当たり前の事であるのに、動揺させ、不安を振りまいているのは国民に対する脅迫意外のものではありません。法的安定性を守るのは国民の意思の総意です。ですからそれをないがしろにする言動自体が犯罪的であると言って良いと思います。この機会に法案を整備すべきでしょう。/……

株式は天の声、地の声

私は安倍晋三が目論んでいる一連の事は防衛利権と思っているので、いずれは米軍の需要に合わせて産業の統計数字に変化が出てくると睨んでいます。徴兵制はしません!と言ってるのは目くらましに過ぎないと思っているのです。軍艦島の世界遺産指定運動も目くらましだったかも知れません。 株式が正直に数字として出てくる筈だと思うんですよ。三菱重工なんかの株価は見逃せません。武器輸出が何処まですすんでるかを調べる方法があれば良いんですが。まあ、株式が天の声だと思ってますから!

Monday, July 27, 2015

不自然な交信記録の不在/隠蔽は無いのか?

 
交信記録が無いと言うのも不自然なことですね!官制が記録を隠蔽している事は考えられないのか?飛行場だから官制無しに離発着が出来るものなのだろうか?交信記録の不在を主張して、遊覧飛行の隠蔽をしている可能性は無いのか?遊覧飛行で収益があったので組織的に常態化していた遊覧飛行のを隠蔽する必要があったのではないのか?
 

Sunday, July 26, 2015

 
世界文化遺産を指定する事にどんな意味があるのか私は解らないですが、例えば富士山です。
 

Saturday, July 25, 2015

もう一度改めて東京裁判(戦争糾弾裁判)を!

中曽根康弘君!あんたがインドネシアで慰安所の開設から女性を現地調達までやっていた張本人じゃないですか!その様に聞いた事があるじゃなくて自分の手でやってたんじゃないですか!大事に到る前に自分から謝っときなさいよ!それにしても慰安所開設の当事者が首相をやっていたなんて、驚いたね!あんたは出て来るべきじゃなかったんだよ!どっかで罪を償っていれば良いんだよ!記録が出て来たから言い訳はもう出来ませんからね!それと現地調達の方法が悪どかったよね!インドネシアの少女を拉致しまくってるじゃないか!

戦争を壊す!積極的戦争放棄!集団的戦争放棄!

戦争をするのは権力がするのだ。庶民は手伝わされるのだ。だから、手伝わなければ権力は戦争が出来ないのだ。でも、庶民は餌を与えられて戦争を手伝わされるのだ。人殺しをさせられるのだ。戦争反対がお題目でなくなる日はそれに庶民が気がついた時なのだが、いつになったら気がつくのか?気がついた者から止める事が出来るだろうか?戦争は国家対国家のかたちを採るので庶民はまるで自分の事の様に喜々として赴くのだ。結局苦しむのは庶民の方なのだ。国民という概念を相対化出来ないのが庶民なのだが、そんな精神構造から抜け出られないのが日本人なのだ。70年前の戦争敗北が何を意味したのか未だに日本人は解らないのだ。だから、日本人は日本は民主主義だから戦争反対とお題目を唱えるだけで済むと思っているのだ。国家対国家の構造を明らかにする事を考えるべき事なのだ。一つ一つ戦争の実行が機能しない様にする事なのだ。
戦争利権と言うものが存在するのだ。戦争反対なら、戦争遂行の為の諸産業を機能麻痺にする事が目標となるのだ。当然の論理帰結なのだ!
言っときますけど集団的自衛権と言う言葉は矛盾語なんですよ!集団的とは軍事同盟の事であるし、自衛権とは専守防衛の事ですよ!何故これらが同じ単語になるんですか?!言葉の定義が抑もおかしいでしょ?!この言葉の定義が出来るもんなら定義してみてくださいよ!戦争の気配を感じたら集団的戦争放棄で対抗しましょう!集団的サボタージュしましょう!別に日本に拘る必要もありませんよ!

Friday, July 24, 2015

戦争を食い止める努力

誰も最早戦争賛成等と言わないのですよ!いつの間にか始まっているのです。だからと言って、戦争に巻き込まれたとか、誰かが煽動したからなどと他人事を言っても無責任過ぎるではないか?戦争反対がお題目だけに終わらぬ様に個人がブレーキを掛けられる所にブレーキを掛けるしかないではないか?戦争に最も近い所に居る者がおかしいと思う事には手を貸すことをしなければいいのだ!だが、権力は敵を撃てと言うだろう。本当に敵ならば仕方無いだろうが、作戦を企画する現場であれば判断出来る事もある筈だ!それが何かは解らない最も解る立場は相手国と交渉出来る部門の人間である。

情報操作

支持率の下がった安倍晋三は閣議決定解釈改憲だけには満足せずに、国民的な支持があるかの様な情報操作を官僚を使って行なうだろう。情報操作はメディア、学識経験者と称する輩に金をばら撒いて世論誘導を行なうだろう。官僚にとってはお手の物の仕事だ!官僚は如何にも国を引っ張っているのが自分達であるとの驕った意識が支配しているので、世論誘導は使命感を持って行なうだろう。安倍晋三は空かさず、支持率の回復に官僚を使うだろう。

Saturday, July 18, 2015

日本人の疑問力の劣化

  
民主主義の衰退と言うよりは、日本人の疑問力の劣化でしょう!上から下迄!この病は治り難いですよ!疑問力は生存権の謂いです。自民、公明は自ら愚衆となって愚宰に傅く!一旦、歩みを止める事がケモノ道の痕跡を消す事になります。ケモノ道を愚衆に踏み固めさせるな!愚宰の想像力は見せない様にしているのです。浅薄この上無いのです。疑問力とは政治的等の場面に置き換えると批判力です。批判力は如何に権力が間違った判断をしているかを指摘し中止を求める事です。ところが、批判の元になる筈の疑問力は専門的知識を伴わなければならない事もあります。雑な感想だけでは疑問力を構築する事は出来ません。解析、分析とは問題の整理と構造理解です。そうすれば格別の専門知識は不要です。目的に沿って解析、分析を丁寧に行なえば良いのです。
  

Friday, July 17, 2015

 
食の欧米化とは何なのか?

 
日本人の死亡原因が大腸癌が多いと言う統計は正しいのだろう。ところがその原因を食の欧米化に求めるのは如何なものか!欧米人が大腸癌が多いと言う統計があって、それと比較した結論なのだろうか?日本の食品をよく調べてみなければ軽率な結論を出す事自体を控えなければならないのではないのではないだろうか?医師の扱っている現場は病気になってからであるから、食と病気との関係を追跡調査してはいまい。食の欧米化を吹聴する事は止めてはどうか?ハッキリした原因そのものを隠蔽する事になってはいないか、医師の安易な吹聴には気を付けなければいけないのではないのか!
日本は加工食品に添加物の多い事を正しく実態的に調べる必要があります。添加物を一般家庭の料理に態々使う事はあり得ないのであって企業が作った加工食品に使っている方が蓋然性が高いのであるからその側面から調べる事が出来る筈です。その様な調査をする前に食の欧米化を吹聴する事は犯罪に等しいと言わざるを得ません!

戦争抑止力って胡散臭っ!

流石に「戦争をします!」とは言えないよね~!欲しいのは防衛利権でしょ?本当は!
抑止力?何で外国の抑止力まで解るんですか?抑止力なんて一種の当てずっぽうの賭けじゃないですか!その前に外交努力がなくちゃならないでしょ!アンタの一番苦手の事でしょうけどネッ!

Saturday, July 4, 2015

 
集団的自衛権の前に個別的自衛権があったんじゃないのか?更にその前に外交姿勢が!

  
何故、今集団的自衛権の議論しているのかがイマイチ解らないのだ!何故、その前に個別的自衛権が行使されなかったのだろうか?現在、個別的自衛権を適応するべき事案は増えてきているし、多くの日本人を拉致されている事件は自衛権の対象ではなかったのだろうか?疑いたくなるのは集団的自衛権と言う事は軍事同盟即ち日米安保との関連はどうなっているかと言う事と防衛利権をどう監視するかの議論が皆無であると言う事だ!利権は必ずつきまとう事なのに、全く議論されないのは何故なのか?それより何より日本がすべき事は外交力を挙げて国際的発信力をつける事ではないのか?
 

テロリズムや幼稚的行動を社会が抑える事が出来るだろうか!

 
新幹線の中での焼身自殺をテロリズムに準えても意味のないことです。確かに愚かな行為である事は両者に共通しており、訴求の構造にも思い違いの観念的力学が働いていると思われます。テロリズムには背景に架空の世界観を持っており、焼身自殺は甘え切った幼稚性を持っています。社会はこの様な行為に対抗する方法を持っていません。この様な観念に対抗する方法を持っていません。社会が出来ることはあらゆる面で知恵を引っ張り出して社会内で教育を続けることしか出来ません。しかし、中途半端な教育では逆にテロリズムや幼稚行動を惹起する恐れもあります。正しくは、明確な否定を貫く論理を社会が作れるかに掛かってるとも言えます。
 

Thursday, July 2, 2015

弱者達の葬列

日本人は毎日の様に弱者達が何の怒りの声も漏らす事なく葬列に誘っている。途轍もなく安っぽい自己否定を繰り返している。社会の残りの人間達は迷惑顔をしても、何が病んでいるのか感じようともしないまま。何と弱い人間達なんだと言うのは安易です。新幹線の中で焼身自殺を図った人間は毎日葬列を出している人間達と同じ列から迷い込んで来たのです。

元の政治的立場を何故脱ぎ捨てることができないのか?

人は特定の政治的立場を抜きに自立して自己の立場を語れないのだろうか?一時は左右に分かれて戦うことがあってもそれを終結したなら、古い左右の枠を取り除いて自立した語りを行なうべきです。ところが、元右翼だった論客たちは何時迄も減らずぐちを叩いて左派だった陣営を叩き続けている。左右の不毛な議論を持ち出しては架空の議論を続けようとしているのだ。メディアを懲らしめる等と吠えて自己の無能さを曝け出しているのです。日本は相変わらずの不毛な議論の季節に入ったのかと思わせるようです。